2011年4月24日日曜日

古代食とは

八倉比売神(オオゲツヒメ)伝説 ・・・古事記によると、養蚕・五穀の起源の神で、阿波の国神。

オオゲツヒメ(オホゲツヒメ、大宜都比売、大気都比売神、大宜津比売神)は、日本神話に登場する神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ケ」は食物の意で、穀物や食物の神である。
『古事記』においては、国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の阿波国の名前として初めて表れる。その後の神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれたとの記述がある。阿波国の名前が大宜都比売とされていることについては、阿波を穀物の「粟」に掛けただけの後附けともされるが、逆に穀物神の大宜都比売が祀られていた国であるからアワの国と呼ばれるようになったとする説もある。


名西郡神山町の「上一宮大栗神社」で祀られている。












阿波国を開拓した阿波忌部族は、大和政権の成立直前の3~4世紀に、全国各地へ進出して麻・穀を植えるとともに音楽・芸能・農業・養蚕織物・建築・製紙。鍛冶などを伝えた際祀族であり、海洋民でもあり産業技術集団であった。

かって徳島(阿波の国)は衣食住の文化。技術で日本をリ-ドしていた時代があった。
阿波国がその前は粟の国と言われていた。一級河川の吉野川中流地域に川島と言う地名がある。

川の中洲に粟を植えたのが始まりと言われ、そこから粟島と言われるようになり粟の国と呼ばれるようになったようである。

701年の大宝律令制度によって中央集権が進み、地方組織の再編が進み七郡体制となり、美馬、麻植、阿波、板野、名方、勝浦、那賀に確立され、その時に国名の表記が、阿波となった。

現在は徳島と言われています。

その足跡の一例として

千葉県勝浦市の遠見崎神社の由来には、「天富命は上古、神武天皇の勅命で四国地方の開拓を終え、東国へ沃穣の地を求め阿波の忌部族を率いて海路を黒潮に依りて、紀伊を経て、此の房総(布良・州崎)に至り、その後関東一円に麻・穀類を植えながら開拓していった。」

「倭国創世と阿波忌部」の著者である林博章先生に教わった中より抜粋。



古代米


●歴史
玄米の色が黒色で果皮・種皮などの糠の部分にアントシアン系の色素を含んだ米。
黒米は、おはぎの起源で古くから祝いの米として珍重されてきたという説もある。また、黒米は滋養強壮に優れ、造血作用があるとされ、薬膳料理にもつかわれている。

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